ごきげんよう。謎解き部UK支部の有栖川リドルです。
みなさん、今日も謎を解いていますか?
2024年5月、舞台『千と千尋の神隠し』ロンドン公演を観てきました!
ようこそロンドンへ!待ってたよ!!!
最前列ど真ん中の席で観ることができました。
役者の表情がハッキリ見えて、小道具やセットも隅々まで見えて、大満足です。
感動を忘れないうちに、感想を残しておきます。
キャストについて
千尋:橋本環奈
湯婆婆:朴璐美
の日でした。
橋本環奈の輝くヒロイン力
事前アナウンスでは、千尋役が上白石萌音だったのですが、いつの間にか代わっていたみたい。
上白石萌音の演技を見るのを楽しみにしていたので、正直キャスト変更は肩透かしでした。
有栖川の中で、上白石萌音は舞台に強い俳優、橋本環奈はアップで映るTV・映画に強い俳優のイメージがあるからです。
でも、残念な気持ちはありつつも、舞台作品としては満足です。
橋本環奈の「絶対的主人公力(ヒロイン力)」がすごくて、スポットライトが当たっていなくても輝くタイプの人種だ!とオーラを感じました。
朴璐美のベテラン底力
湯婆婆は、あまりにも夏木マリボイスなので、最初は夏木マリ本家だと思っていた。
でも顔や手をよーく見ると、違うかもと思い始める。
セリフに耳をすませると、発声の特徴的に朴璐美だ!と確信を得た。
(アニメオタクあるあるだと思うんですが、声だけで声優がわかることありますよね。アニメでたくさん聴いてきた声なので、発音のクセでわかりました)
声優ではなく、舞台俳優としての朴璐美を見るのは初めて。
夏木マリへのリスペクトを感じる、素晴らしい演技でした。
決して声真似をしているわけではないのですが、ちゃんと"あの湯婆婆"なんですよね。
そして舞台上の演技にふさわしく、全身全霊!
この公演が最後なの?翌日はエネルギー残ってるの?と思うくらいの全力投球。
特に湯婆婆がブチギレるシーンの迫力がすごい。
きっと後方の席でも、そのパワーを感じ取れるでしょう。
一回の公演で3キロは痩せそう。
ひとりひとり言及してませんが、キャストの皆さん、一公演あたりものすごいカロリー消費で演じているので、圧倒される。
彼らの体力はどうなっているんでしょう。
どうかケガのないよう、声を枯らさないよう、無事に公演を終えてほしい。
舞台デザインと演出について
舞台美術、インテリア、装飾が好きな有栖川。
小道具から舞台転換まで、隈なくジロジロ観察できるように、最前列に座りました。至福。
空間マキシマリストな舞台セット
ミニマリストを極めたモダンなデザインが、最近のヨーロッパ演劇ではトレンドのように思います。
一方ジブリ作品は、対局のマキシマリストの美を極めている。
そんな宮﨑駿ワールドを再現するにぴったりな、空間を120%使ったデザインでした。
舞台の縁取りが苔むしていて、朽ちた祠や鳥居が施されている。
幕が降りている状態では、幕に空の絵が投影されていて、幕の中心にはドアがついている。
客席に向かって、ジブリワールドが溢れ出している感じがして、とても良い。
幕が開くと現れるメインステージは、360°回転する床の上に、湯屋が建っている。
湯屋のセットは天井の方まで、空間を余すことなくフルにデザインされていた。
映画の湯屋のビジュアルとは似つかわない。
あくまで舞台セットとして機能性を持たせ、簡易化した湯屋だ。
まるで茶室のようなシンプルさ。
だが回転させ、少し小道具を変えることで、釜爺のボイラー室へつながる外階段になったり、豪華絢爛な客室になったり、従業員の居住スペースになったり、湯屋への入口になったりするのだ。
一つのセットがこんなに七変化するの、初めて観た!
舞台セットのデザインも、いちいち天才なんだよなあ。
演出の工夫と、キャストの演技と、観客のイマジネーションに委ねることで、こんなに映画を忠実に再現できるんだ!と感動する舞台デザインだった。
ジブリ飯へのリスペクト
ジブリ飯というアイコンは、日本に限らず、世界にも浸透している。
それを忠実に舞台の小道具にしていた。
湯屋で神々に提供する食事も、銭婆の家で出てくるケーキも、ハクが千尋にあげるオニギリも、千尋の両親が豚になる屋台飯も、リンさんが千尋にくれる肉まんも、気合いがすごい。
観てるこちらも食べたくなる、ジブリ飯の再現であった。
ジブリ飯の魅力をわかっている……。
カオナシがダンサーである意味
日本のオリジナル公演のキャストをみて、なぜ世界的ダンサー・菅原小春をカオナシに起用したのだろう、とずっと思っていました。
その意味が、舞台を観るとわかる。
カオナシ役は、優れたダンサーじゃないと演じられない。
理由①カオナシは顔が無いキャラだから。
常に「あの仮面」を演者はつけなければいけない。
表情で演技することはできません。
理由②カオナシはセリフが無いキャラだから。
「ア…ア…」「エ…」しか喋れない設定なので、セリフに感情を乗せて演じることはできません。
理由③敵か味方かわからない、得体の知れないキャラだから。
憎めないかわいさもあり、不気味さもあるのがカオナシの特徴。
神でも人でもならざる不気味さを表すには、巧みな身体表現が重要です。
(『ガラスの仮面』で月影先生が、「窓から手を出すだけで、幽霊の不気味さを表す」という名演をしていたように。)
そこで「あ!ダンサーに演じさせよう!」とひらめく演出家、天才すぎませんか?
惚れ惚れしちゃうぜ。
そして、ロンドン公演のカオナシ役・山野光がとてもよかった。
コンテンポラリーダンスの動きを取り入れていて、人間の体ってこんなにスムーズに動かせるんだと驚いた。
「人ならざるもの」を表現する動きで、特に好きだったところが2つあります。
①段差を感じさせない、ヌルッとした動き
ステージ上に、一段高くなった台が置いてあるのですが、そこを登るときの動きです。
ふつう段差を登るとき、頭の位置が上にピョコッと上がるじゃないですか。
それを山野光は、頭の位置が変わらないようにし、いつの間にか段差を登っている状態に見せる。
「人外の動きを表現しているんだ!」と気づいて興奮してしまった。
②予想もつかない、ギュンッとした動き
フィギュアスケートのジャンプする前の体勢をとり、まるで磁石に引っ張られてしまったかのように、脚の方からギュイーンと横に移動していったのが良かった。
少しコミカルな動きに見えるようで、会場からは笑いが起きていたけど、笑わせる意図があったかは不明。
話は逸れるが、カオナシが初セリフ(?)の「ア…ア…」を発するところで、会場から笑いが起きた。そんな笑うところでもない気がするのだけど、日本でもそうなんでしょうか。
カオナシはコミュ症の俺、みたいなネットミームを見かけたことがあるのと、
海外公演で見ると「英語を話せず言葉に詰まる人が、嘲笑されている」図と重なってしまったのとで、笑われるカオナシがかわいそうになった。
遠近法の演出がお見事
好きな演出ナンバーワンが、空間の遠近感(高低差?)を表すところです。
・湯婆婆が鳥の形になって空を飛ぶシーン
長い棒のついた鳥のパペットを人間が操り、下からライトで湯婆婆を照らすことで、映画のあの不気味さを表しています。
・河の神が「よきかな」と満足して飛んでいくシーン
河の神が大釜から飛び出すときは、新体操のリボンみたいなギミックで、人間がパペットを操り、ひらひら舞う竜の体を表現します。
そして出口から飛び出ていくときは、ステージから二階席に向かって、ミニサイズになった河の神パペットがジェットコースター並みの速さで飛んでいきます。良い再現〜!
・ハクが龍の姿で紙の鳥に襲われているシーン
河の神同様のギミックで、ひらひらパペットハク竜(ミニ)が紙の鳥と飛び回るのですが、千尋の方に飛び込むタイミングで、ハク竜(デカ)に入れ替わります。
中華街のパフォーマンスで見る龍みたいな大きさ。
・千尋が橋の上から電車を見下ろすシーン
ステージの床を、ラジコン操作してるようなオモチャの電車が走ってきます。
小さいものを使うことで、千尋がいるのが高いところで、かなり下方を電車が走る様子を表しています。
パペットの表現は無限大
・湯婆婆の火を吐いて怒るシーン
普段は演者が、人間の頭部サイズで演じていますが、湯婆婆の恐ろしさを表すシーンでは、パペットによるデカ頭部を使います。
顔の各パーツを演者一人ひとりが操るので、チームワークが重要。
ものすごく練習したことが伺えました。
・カオナシが肥大化して大きな口ができるシーン
湯婆婆のデカ頭部と同様に、一人ひとりの演者の集合体が、デカカオナシを構成します。
パクリと食べる口の不気味さが良く表されていたし、カオナシがデトックスして、元のサイズに戻るギミックにも有効なので、かなりよく考えられた演出です。
・ハク竜がボイラー室で苦しみもがくシーン
演者の操縦がお見事すぎて、本当に苦しんでいるハク竜がそこにいた……。
繊細な動きを操れるの、すごいな。
・千尋がハク竜にまたがるシーン
リボンみたいなヒラヒラのパペットの他に、輪切りパペットもあった。
このシーンでは、演者に肩車した状態の千尋を、輪切りパペットで挟むことで、またがっているように見せていた。賢い演出!
舞台脚本の補填のすばらしさ
基本的にすべてが映画に忠実ですが、ところどころ補填されたセリフがあります。
確かに、映画だと言葉足らずだったかも、と思えるところを、説明的にならないように追加しています。
例えば、千尋が番台に薬湯の札をもらいに行くところ。
映画では、湯女がお客様の名前だけ言ったら、番台が薬湯の名称だけ返す、というセリフ回しになっている。
だが、舞台では「お客様ごとに好みの薬湯があり、常連客にはいつもの札を渡している」とわかる、セリフ補填があった。
海外の人から見たらどうなの?
演劇の本場イギリス・ウェストエンドで公演すること、その期待に応えるクオリティに仕上げることの、重さを考えてみる。
客層について
中国人、韓国人、日本人ら東アジア人は言わずもがなですが、それよりもローカルの人の方が多いように感じました。
子連れファミリーより、大人だけで来ている人も多い。
これは驚くべきことです。
パペットを使ったキッズ向けの劇というより、芸術的な劇として認識されている。
これは、演出家ジョン・ケアードが賞を取った著名なイギリス人だからでしょう。
ローカルの観客にとって、キャストが(日本の)有名人かは、ぶっちゃけ知る由もない。
演出家の名前を信頼して、劇場に足を運んだのだと思います。(+ハヤオ・ミヤザキのジブリブランドの力。)
英語字幕の表示
全編日本語のセリフなので、海外公演では字幕の手配が欠かせない。
舞台の両脇にスクリーンがあり、英訳されたセリフが表示される。
ステージ見つつ、字幕スクリーンをみるのに、日本語ネイティブじゃない人たちは、苦労していた。
席が舞台に近ければ近いほど、テニスの試合を観ているのか?というくらい、首を左右交互にふる必要があり、気の毒だった。
有栖川の周りのローカルの人は、休憩時間のときに「字幕を見るのが疲れる」とこぼしていた。
あと、字幕見てる人と日本語わかる人で、笑いの時差が生まれる。
例えば釜爺が千尋のことを「わしの…孫だ」と言うところ。
「わしの…」を発声しているころ、すでに字幕はフルセンテンスのセリフを表示しており、英語組から笑いが起きる。
ワンテンポ遅れて、「…孫だ」まで聞き終えた日本語わかる人たちから笑いが起きる。
言語の違いによる、笑いの時差おもろ!
そして時にそれは、演者を戸惑わせそうだなと思った。
演者は「今!ここでドッカーンとウケるはず」と笑いの波を予想しながら、セリフを言うと思う。
それがピタリとハマれば、気持ちいい。
演者はノッてくるわけだ。
だが、自分のリズムとズレた反応が来ると、その後の演技の微調整が必要そう。
役者のみなさん、これからどう海外公演のギャップに順応していくのでしょうか。それも楽しみ。
舞台挨拶も日本語
カーテンコールの本当の終わりに、橋本環奈が「ありがとうございました!!!」と日本語で元気に叫ぶのだが、ローカルのお客さん、絶対に理解していない反応だったぞ。
シーン(なんて言ったんだ??)……パチパチ👏(よくわからんけど拍手しとこ)
みたいな時差バラつき拍手。
せめてそこは「サンキュー!」の方が伝わったのでは。
たぶんローカルの人の耳で理解できる日本語は、英語訛りのアリガトゴジャマスくらいなので。
ネイティブな「ありがとうございます」は、わからなかったんだろうな。
映画版を観たことがある人向けの舞台
おそらく、映画の内容を知らずに、初見で舞台を観ると、ストーリーや状況を理解するのが難しいと思う。
宮﨑駿の聖典を鬼リスペクトし、演劇作品として完全再現してみたのが、この作品である。
映画を観た人は「あのシーンをこう表現したんだ!」と、その変換技術に唸ること間違いなし。
でも初見だとしたら、たぶん下記のシーンがピンとこない。
・千尋が息を止めて橋を渡るシーン
簡易版セットのため、湯屋のシンボル的な赤い太鼓橋は、デザインから省かれている。
イマジネーションで橋を渡るところを補わなくてはいけない。
人によっては、ただの道を息を止めて歩いていると思ってしまいそう。
・千尋がボイラー室に行くため、長い階段を降りるシーン
足を滑らせたり、階段を踏み外したり、手すりのない崖っぷちのなが〜い階段を渡らなくてはいけないのだが、簡易セットだと、ふつうの階段である。
たいへんな道を歩いていることを表現するのは、完全に役者の技量に任されている。
初見の人は「千尋は高所恐怖症で、ふつうの階段もはしごも怖いのか」と勘違いしそう。
・千尋がハクを助けるために、最上階の湯婆婆の部屋に行くシーン
舞台上のなんてことないハシゴを、なぜ大変そうに上るの?となりそう。
海鳥を飛ばして、いかに高いところにあるかを表現してはいる。(映画にも似たカットがある)
宮﨑駿のすばらしさ再発見
舞台版で『千と千尋の神隠し』を観て、宮﨑駿のアニメーションがない分、彼のプロットと演出に集中することができた。
完璧なボーイミーツガール物語
「ひと夏の不思議な冒険」で、千尋は精神的に成長する。
ミステリアスな美少年に助けられ、過去に出会っているという、記憶の謎を解いていく。
「その川の名前はね、コハク川。あなたの本当の名はコハク川」
はーーーーー!記憶を手繰り寄せる、こんなキラキラした名シーンを、あのお髭メガネのおじさまが生み出したの!?て、天才…。
☑️空を飛ぶ
☑️夏っぽい青い空
☑️運命的な出会い
☑️成長物語
☑️退廃的で和洋折衷の不思議な世界
☑️謎の美形キャラ
はい、完璧!ボーイミーツガールの舞台として、項目満たしてる!
千尋の気づきを、空を飛んでいるシーンに持ってきたのも天才だし、腐れ神事件で竜=川の神の姿だという伏線を張るのも天才だし。
名前を取り戻したハクが、守れるかわからない約束するシーンも切ないし、神話の定番「振り返ってはいけない」儀式を持ってくるのもさすがだし、不思議な冒険は夢だったのかと思いきや、きらりと髪飾りが光る最後のカットも素晴らしいし。
パヤオ、ありがとう。
不思議な世界への入り口は、いつもさりげない
『ナルニア国物語』のワードローブにしても、『ハリーポッター』の9と3/4番線にしても、『千と千尋の神隠し』のトンネルにしても、現実と
ファンタジーの世界の境目はいつも、すぐそばにあって曖昧。
それが、名作ファンタジー冒険物語の醍醐味だと思っている。
朽ちた祠に沿って道を辿ると、不思議な建物とトンネルが待ち受けているの、完璧な設定すぎる。
"えんがちょ"を入れるセンス
他の人なら省きそうなシーンをあえて入れる。これはすごいセンスだと思う。
『千と千尋の神隠し』は、ギャグパートとシリアスパートの塩梅が心地よい。
ベストコンディションの宮﨑駿が作品を作ると、こうなるのか。
センス極まれりなシーンが、千尋が腹の虫を踏んだときの"えんがちょ"。
("番台"を知らない千尋が、なぜ絶対に世代の違う"えんがちょ"を知っているのか)はさておき
虫なのって、「腹の虫が治らない」の虫をキャラクター化たってコト…?
べちゃっとした何かを踏んづけてしまったときの「うぇ〜」という気持ちは世界共通で、イギリスの観客もEw!と悲鳴が聞こえておりました。
まとめ
こんなに長くなると思っていなかったけど、観終わってすぐに吐き出したい感想はとりあえず書き留めました。
有栖川自身が、こんなに作品愛があったことに驚いています。
もう一回観に行きたいなぁ。
フランス公演も観たいなぁ。
パリジャンたちの反応気になるじゃん。